大学時代はひきこもり

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想い

 

学生時代はひきこもりでした。

 

大学に行きたくなくて、ましてや就活なんて絶対したくない。

 

なんであんな固い同じスーツ来て、集団でぞろぞろいかなきゃいけないのか・・・

 

だからといって生産的なことをするわけでもなく、家でつまらない本を読んでみたり、ダラダラ過ごしていたのです。

 

「でもこのままじゃ詰む」

 

その気持ちだけは片隅にはありました。

 

そこで発奮して市役所受験の勉強を開始。

 

約半年、訳の分からない用語に苦しみながら、苦闘し、受験。

 

地元市役所に合格。

 

晴れて真っ当な真人間になれた、と思ったのです。

 


でも、役所に入った途端、「合わない」

 

 

人間関係や硬い頭の役所の先輩に、ミスマッチ感が怒涛のように襲い掛かる日々。「・・・やめたい」いつもそう思うようになりました。

 

集団型とか、価値観とかを人に押し付けられたりするのが、自分は大っ嫌いなんですよね。

 

そういう自分を分かってはいたんですけど、周りが、親が、とか言って、無理に合わせようとしてきた。

 

その結果が鬱寸前という結果です。

 

親は「鬱の病気なんだから、今のところで頑張るのがいい」

 

とか訳の分からないことを言って、独立したい、起業したい、っていう自分の話を全く聞かないくせに、話をしろ、話を聞けと言ってきます。

 

鬱なのは、親の言うことを聞きすぎてきたから、が最大要因なのであって、親の言うことを聞くから、学校のいうことを聞いて、学校の言うことを聞くから、職場の言うことを聞く人間になった・・・。

 

全部親とか大人の世代の都合のいいように仕組まれてるシステムなんです。

 

そういうことを言った日には、親は、

 

「やっぱり病気だ」

 

とか病気で片付けるパターン。

 

それは全部あなた達のいうことを聞いてきたからですよ!と・・・

 

確かにまあ自己責任が原則ですから、いうことを聞きすぎてこういうつまらない人間になってしまったのも、「自分で選んだこと」っていうのは分かっているんですが、それって分かり切ってていまさら言うことじゃない。

 

よく「自分で選んだことだから・・・」とかって綺麗ごとを言う人がいるんだけど、自分で選ばざるを得なかった周りの圧っていうのもある。それに負けたのも自己責任だ、っていえばそれまでだけど、それって逃げ道を完全に塞いでるよね。

 

あまり人を追い込まないでよ。

 

「窮鼠猫を嚙む」っていうことわざがある。

 

窮鼠っていうのは追い込まれたネズミっていう意味。

 

追い込まれたネズミは、天敵の普段負ける猫をすら噛みつく、っていうことの例え。

 

人間だって、「窮人、年長者を噛む」だ。

 

これからの時代、こういう「大人」世代による「子ども」世代への圧とか搾取とかいってみれば利用する傾向とかを打破しなきゃいけない。

 

もっと声を上げて、やりたいことなら自分の都合こそ最優先して勝手にやるくらいの勢いが大事だ。

 

だって「大人」だって大人の利権、つまり自身の老後の安定とかのために、若い世代を搾取して利用しようとしてきたんだから。

 

それに対して断固、決別、異を唱えて、自分こそ最優先して、好きなこと好きなだけやる人生をみんなで創ろうじゃないか。

 

前から思ってたけど、最近強くそう思う。

 

頑張ろう!

 

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